20190204 久下神社



奉納 昭和16年04月







水鉢が逆さま。

普段は見る事が出来ない水鉢の底 ・ ・ ・



さて ?

コレは何 ?



大日魔人さんより

もしかして、久下神社の猿は神猿ではないのか?

そこで、久下神社について調べてみました。

ウェブサイトを見ると、久下神社は久下村にあった内三島神社で、、明治43年に地内の無格社10社、大正2年村内の神社14社と外三島神社を合祀、社名を久下神社と改めたとあります。

さらに新編武蔵風土記稿に記述されている江戸時代の久下村の神社の中に山王社の名があります。

そんなことから、久下神社の猿は、久下村の山王社にあった神猿が、合祀のとき久下神社に持ち込まれたものと考えられます。







大日魔人さんより

上の字にはウかんむりが見えます。

ウ冠がつく漢字+一字の二文字で石碑に刻まれる漢字といえば・・・「塞神」!。

そう考えると、石碑の文字は「塞神」の崩し字に見えてきました。

「さえのかみ」と読みます。

庚申塔を改刻した塞神塔に間違いないですね。

表面をよく見ると、削り残した 「寛文十三年」 「為二世」 「九人」 「十月吉日敬白」の文字が見え、改刻されたものとわかります。

塞神は道祖神と同じ、地域の護り神で、村や部落の入り口で外から侵入する疫病や災いを防いでくれる神様です。

熊谷・行田地区には、この塞神の石塔が多くあります。

それも庚申塔の表面を削り取って「塞神」と彫り直した改刻塔。

この石塔も下部に猿と鶏が彫られており、まさしく庚申塔を改刻したもの !!